ハク・クランシーが歌葬士になって、1ヶ月が過ぎた。

当時は史上最年少だの、天才だの、称賛の言葉が飛び交ったものだ。
だけどそれも、時の経過と共に無くなっていった。
歌葬士。それは、死んでしまった人の魂を往くべき所へ送り届ける案内人。
迷いがあってこの世に留まる死者は、やがて人々を苦しめる魔物と成り果てる。
歌葬士はそんな人々の魂を宥め、癒してあげる事で、彼らを送り出すのだ。
歌葬は大切な、大切な儀式だ。
どうせなら失敗の可能性の低いベテランの歌葬士に送ってもらいたい、というのが人々の本音だった。
だからだろうか。
あれだけ世間を賑わせたハクには、未だに歌葬の依頼が一切来なかった。

ハクは歌葬士でありながら、まだ15歳の学生だった。
朝から夕方まで学校で過ごした後は、仲の良い友人と遊びに行ったり、家でくつろいだりするのが彼女の日常。
正直な話、彼女の中の「歌葬士としての自分」は、未だぼんやりと陰を潜めていた。
歌葬士として人の役に立ちたいのも事実だが、依頼がないのではどうしようもない。無い袖は振れないのだ。





「おっさきー!!」
「あっ・・・!」

机の上で一足遅れた朝食をとるハクの肩を、誰かが叩いた。
振り向かなくても分かっている。

「もう。食べてる時に押さないでって、いつも言ってるじゃない」
「じゃあ俺より早く食べればいいじゃん!」

朝から元気なこの少年は、ハクの弟のノア。
ハクとお揃いの黒髪をなびかせ、ばたばたと騒がしい足音を立てる。

「今日もハクが鍵当番な!忘れんなよ!」

玄関から顔を覗かせてそれだけ言うと、やはり喧しい音を立てて扉を閉めた。
男の子は朝の準備が簡単で良いな。
そんな事を思うのは今日で何日目だろうか。
勝ち目の薄い「朝の戦い」に敗北し、今日も手馴れた様子で鍵を閉める。

「いつもの事なんだから忘れないよ・・・」

勝負でも何でもないのだが、いつの間にか姉弟の毎朝の行事になってしまった。
一番上の姉は朝と夜で逆の生活を送っている為、今も二階でぐっすり眠っているのだろう。
朝はハクかノアのどちらかが戸締りをしなければならないのだ。
既に面倒くさいという感情さえ湧かなくなっていた。





「ふぅ」

今日も寒いな。
ハクは溜め息と共に、心の中で呟く。
降り積もった、ごく薄く青がかる雪景色。この国は雪が沢山降る。
だがハクの足取りがいつもより遅いのは雪の所為だけではなかった。
と言うのも、今日は戦闘技術のテストがあるから。
それも一限目から六限目までみっちりと。
戦闘技術。名前の通り、実際の戦闘を想定した訓練のようなものだ。
きっとハクでなくとも溜め息を付くクラスメイトは沢山居るに違いない。

この授業でハクを憂鬱にさせているのは、授業の内容と言うよりか、自分の姉弟の存在が大きかった。
ミオは在学当時「他に類を見ない魔法の才女」として、ノアは「武術と魔法の両方を兼ね備えた逸材」として、
学校だけでなく国中の様々な人々から注目を浴びている。
それに比べて、ハクには特にこれといった長所はなかった。
戦闘技術での成績もクラスで中の上くらい。
人より優れているものと言えば、せいぜい身の軽さくらいだろう。
常に頂点に君臨している姉弟と比較されるのが堪らなく嫌だった。

「ううん、お姉ちゃんやノアの事は気にしちゃ駄目!
私は私の全力を見せればいいんだもん。張り切っちゃうぞ・・・!」

自然とハクの拳に力が入った。
強い劣等感と憧れを感じているのは確かだが、それを気にして何になる。
いくら姉弟でも他人は他人。
自分にしかない魅力もある筈だ。比べられるなんてのは心外である。
ハクには、物事を前向きに捉え直す力があった。
その性格に共感してか、どちらかと言えば控えめな性格のハクの周りにも、いつも沢山の友人が居た。

「あ!」

突然ハクが顔を上げる。
雪を着た煉瓦の街の中に見慣れた姿を見つけたのだ。
緩くうねるオーカーの長髪に、彼女が好んで着る黒のコート。
そして何より、あの気だるそうな歩き方。間違いない。

「お姉ちゃん!」

ハクが駆け寄ると、彼女の姉ミオも顔を上げた。
疲れているのか、ミオの顔が普段よりやつれて見える。

「やっぱりお姉ちゃんだ!何してるの?てっきり家で寝てるのかと思った」
「仕事が長引きすぎて・・・。早く家に帰りたい・・・寝たい」

消え入るような声で、ミオが呟く。
お疲れ様とハクが言うとミオは、ん、と一つ返事を返す。
ミオが何の仕事をしているのか。
ハクやノアが何度も聞いたのだが、言いたくないのか何も教えてくれない。
だけど、いつも心身疲れ切った様子で帰宅する彼女の姿から、何か忙しくしているのは知っていた。

「あ、そうだ」

何かを思い出した様子で、元気の無かったミオの顔がほんの少し明るくなる。
朝露に少し濡れた髪を片手で弄りながら、ミオが訊ねてきた。

「これから晩御飯だけ買って帰ろうと思うんだけどさ・・・何か食べたいのある?」
「うーんとねぇ・・・フルーツが食べたいな!」
「フルーツ?」

思わずミオが復唱する。
自分は今日の夕飯の話をしているのであって、何故フルーツが出てくるのだ。
別に夕飯がフルーツだけで良いならそれでいいのだが、どうもそういう事ではないらしい。
ミオが怪訝そうな顔をすると、ハクは笑顔で答える。

「今の時期だとオレンジとか美味しいでしょ?ね、お願い!晩御飯はお姉ちゃんに任せるよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」

ハクのささやかな我侭にミオも小さく悪態をつく。
だけど最終的に買ってしまうのは、姉の優しさか、それとも妹のおねだりが効いたのか。

「今日の夜、楽しみにしてるね!」
「はいはい」

そう言ってミオはふらついた足取りでハクの反対方向へ歩く。
そしてすれ違いざまに一言。

「試験がんばって」

その言葉が耳に届いた瞬間、ハクの顔には満面の笑みが咲いた。
歌葬士になる試験の時も、ミオはさり気なく応援の言葉をかけてくれた。
晩御飯に食べたいものを聞いてくるのも彼女の癖だ。
尤もミオ自身は気付いていないだろうけど。

「・・・よし!がんばるぞ!」

大好きな姉に応援されるのは、純粋に嬉しい。
雪を踏むリズムがうんと早くなった。